自殺を考えていた若者に対して
木村さんは言う、「死ぬくらいなら、その前に一度バカになってみたらいい。
同じ事を考えた先輩として、一つだけ分かった事がある。
一つのものに狂えば、いつか必ず答えに巡り合うことが出来るんだよ」

子供の頃から、機械が好きだった木村さん(当時は三上さん)は、高校卒業してから川崎市の会社に入社する。
入社して1年半後、兄が自衛隊に入隊する事になり、実家に呼び戻される。
リンゴ農家の跡継ぎにならなくなった。
しかし、兄は自衛隊を辞めて実家に戻ってきた。
三上さんは、都会に戻って会社に就職する夢もあったのだが、
22歳で同級生の木村美千子さんと結婚する。
農家の長女で婿養子となり農家の道を進む事になる。
トウモロコシと作ってた時、虎バサミにタヌキが掛かった。
タヌキを外して逃がしてやり、売り物にならないトウモロコシを畑の端に置いて帰った。
その次の日、トウモロコシは全部なくなってた。と同時に、タヌキ被害は何も無かった。
それで虎バサミをやめて、商品にならないトウモロコシを置くようになった。
ほとんど、タヌキ被害は無くなった。
もともと、タヌキの住みかだった所を畑にし、人間が全部持っていくから被害が出るのでは無いか。
エサをやると、タヌキが集まってもっと被害が出るのではと思ったが、そうではなかった。
自然の不思議さを知った。
この頃、効率農業からの転換期だったかもしれない。
美千子は農薬に弱い体質だった。
リンゴ栽培において、農薬は不可欠である。
そういうこともあり、木村はトウモロコシを作り、生計を立てようとしていた。
冬は休業となる季節。木村は、本屋や図書館で農業の本を読みふけた。
ある日、本屋に行き、目当ての本が最上段にあったので、横着して棒で突いて取ろうとした。
そうしたら、一緒に別の本も落ちてしまい、汚してしまう。
仕方ないので、両方買って帰った。高い本で損したと思いつつ、読まずに放って置いた。
その買うつもりの無かった本が「自然農法」という本で「無農薬・無肥料農業」の本だったのだ。
これをきっかけに、リンゴの無農薬栽培を考えるようになる。
そして、4区画あるうちの1区画で無農薬栽培を始める
夏になり、葉が黄色くなり葉は全部落ちてしまう。
葉が無くなると言う事は、木が栄養を補給できなくなり、木が衰弱してしまう。
葉を守る方法を見つけねばという思いで、実験数を増やすべく、4区画全部、無農薬栽培する事にした。
これにより、水田はあったものの、一家の収入はゼロに近くなった。
現在のリンゴの木は、農薬が発明されて以降に品種改良された木であり、
害虫や病気から農薬を使って守る事が前提として改良されている。
その引き換えとして、野生の力を失った。
農薬を使わずにリンゴ栽培するなんて無理だとリンゴ農家なら誰もが知っている。
試行錯誤と失敗繰り返し、リンゴの木は年を追うごとに酷くなって行った。
木村がやろうとしてる事は、100年前の先人達が経験した事であり、
無農薬でリンゴ栽培は出来ないが故にたどり着いた解決法が農薬なのだ。
木村はその結論を、たった一人で覆そうとしているのだ。
「地獄への道を駆け足した」木村はそう振り返る。
リンゴ栽培の傍らで、プラムや西洋梨、米、各種野菜も栽培した。
リンゴ以外は、無農薬で収穫する事が出来た。
リンゴだけが不可能なはずはない。いつかきっと、リンゴの木に実をならせる方法があるはずだ。
それが木村の信念になっていた。ある意味で、その信念が木村の最大の障害になった。
5年目に入っても、最悪な状況は続いていた。
友人からの忠告も無視し、木村さんの味方は居なくなっていた。
地域の人からは「カマドケシ」とあだ名を付けられたが、自業自得でもあった。
村八分に近い扱いを受け、親戚からは慶弔の誘いまで絶えていた。
それは、仕方の無い事でもあった。
放置園は、病気や害虫の発生源となり、他の農家に迷惑が掛かる可能性があるからだ。
経験や知識が無い人を世間はバカと呼ぶ。
けれども、人が新しい何かに挑むとき、最大の壁になるのは、しばしばその経験や知識なのだ。
木村は、失敗するたびに常識を捨てた。
100や1000の失敗を重ねて、経験や知識が何の役にも立たない世界に挑んでる事を知った。
リンゴの木は、死に掛けていた。同じように木村も死にかけていた。
死と再生の神話。奇妙なぐらい符号していた。
1985年07月31日、木村は自殺する事を決意していた。
やるべき事はすべてやり、もうすべき事は何も無い。
自分が死ぬ事で、みんな今よりは幸せになれるに違いない。
無責任な考え方だが、自分が死ぬ事は悪い選択だと思わなかった。
山道を登り、良い具合の木が見つかった。
ロープを投げた。
ロープの端が指をするりと抜け、勢い余ってあらぬ方向へと飛んでいった。
この期になってもへまをする。
ロープを拾いに山の斜面を降りかけると、木村は異様な物を目にする。
月の光の下に、リンゴの木があったのだ。
良くみると、それはリンゴに木ではなく、ドングリの木だった。
害虫被害など無く、健康な葉をしていた。
もちろん、誰かが農薬をやったわけでもない。
6年間探し続けた答えがここにあった。
山とリンゴ園。決定的に違う事は、雑草が生え放題で、地面が沈むくらいふかふかだった。
土が全くの別物だったのだ。
この土は人間が作ったものではない。
この場所に棲む生物の合作なのだ。
自然の中に、孤立して生きている命は無いのだと思った。
今までは地上の事だけを考え、葉の状態ばかりを気にしていた。根の事を忘れていたのだ。
リンゴを守ろうとするあまり、堆肥をやり雑草をかり、リンゴの木を自然から切り離して栽培していた。
農薬を使わなくても、農薬を使っていたのと同じ事だ。
この時、ついに木村は答えを見つけたのだった。
木村は、雑草を抜くのをやめ、自然な状態で栽培し始める。
農薬を使う農業は、虫が発生したら殺す。病気が蔓延すれば消毒する。
現代の農業は自然のバランスを破壊する事で成立しているのだ。
コーサカス山脈生まれのリンゴの木が、日本にある事自体が不自然であり、
木村が抱えていた問題は、自然の摂理と人間の都合を折り合いをいかにつけるかという問題でもあった。
折り合いが付かない部分が、虫や病気として現れていたわけだ。
生きとし生ける命が絡み合って自然は成り立っている。
自然が織る生態系という織物と、リンゴの木の命を調和させる事が自分の仕事だと木村は思った。
大豆を撒き、雑草を生やす様になって3年目、全ての畑で農薬使用を止めてから8年目の春。
畑の7つの花が咲いた。
7つのうち2つが実をつけた。
この年、晩秋になっても落葉するまでリンゴの木は三分の二以上の葉を残していた。
そして9年目の春、畑一面にリンゴは花を咲せた。
リンゴの花は、どんなに人間が頑張っても自分では花の一つも咲かせる事が出来ない。
人間が出来る事は、リンゴの手伝いをする事だけ。
頑張ったのは、自分ではなく、リンゴの木が頑張ったんだ。
失敗を積み重ねてようやくそれが分かった。本当に長い時間が掛かったよ。